年金数理人に対する故人の言葉


1999年というと、退職給付会計の導入前夜。日本年金数理人会の会報No.4に「激動の時代」という寄稿があります。

=== 以下、引用 ===

大きく旋回しつつある時代の流れの中で、冷静にリスクを測定しその対処方法を検討し提示していく、人々が求めているものはこの作業ではないでしょうか。いわば暗礁に乗り上げないように、あるいは氷山にぶつからないように海図を作っていく作業です。人々はこの海図で航海をつないでいくわけです。そしてこの仕事ができるのが年金数理人の方々ではないかと思います。人々も年金数理人の方々にそのような成果物を求めていると思います。工場の流れ作業のようにPBO計算をこなしていくというのは人々が求めているものではないと思います。

そして、2005年2月。マクロ経済スライドが導入された翌年に、同氏は「創造的なこと」という寄稿を行っています。

=== 以下、引用 ===

今年の7月23日に厚生労働省を退職致しました。長いようであっという間に過ぎ去った30年間の公務員生活でした。

振り返ってみますと、数学と出会い数学にのめりこむ中で数学の研究を志しましたものの、やがて、自らの内側から沸いてくるものの少なさに気付いて数学研究者の道を断念し、公務員の世界に飛び込んだというのが私の公務員生活の始まりでした。(中略)

このような経緯で私の公務員生活は始まりましたので、役所に入った当初は、これから自分はどんな仕事をしていくことになるのだろうか、ちゃんと仕事をしていくことができるだろうか、という不安が大いにありました。この不安が少しずつ解消されていったのは、actuarial scienceを学び、それが少しずつ現実の仕事に使えることを理解し始めた頃からでした。すなわち、社会的制度の背後に時々数理科学的な構造が現れ、それを把握するのにactuarial scienceが役に立つということが分かり始めた頃からでした。

私は、幸か不幸か、公務員生活のほとんどすべての期間を年金の分野で過ごしました。個人的には大変幸せだったと感謝しております。と申しますのも、年金制度の背後には大いなる数理科学的構造が存在し、その現象を少しでも詳しく認識するために、actuarial scienceが威力を発揮するということがありますので、色々な場面でエキサイティングな経験ができたからです。(中略)

これからの年金制度を、理論面・運営面で支えていかれる現役の年金数理人の方々にも、同じようなエキサイティングな経験をしていただきたいと願っております。特に若手の方は、どんな些細と思われることでも、自分が「おや?」と思うことを大切にしていかれるのがいいのではないかと思います。actuarial scienceを学ばれる過程でも、財政運営ルールに目を通される時でも、「おや?」と思われたことを大切にしていただきたいと思います。

寄稿から20年経った今でも、色あせない文章です。数学との出会いを通じて、アクチュアリーを目指したという方も多いのではないでしょうか。この4月から、社会人になった方は、アクチュアリーの仕事を体感し、さまざまな思いを抱いている時期ではないでしょうか。仕事と勉強の両立は大変。思っていた仕事と違う。そんな複雑な心境の読者もいるかもしれません。故人と同様の不安を感じている方もいるかもしれません。でも、同氏が言うように「actuarial scienceを学び、それが少しずつ現実の仕事に使えることを理解」すると、不安は解消されます。「社会的制度の背後に時々数理科学的な構造が現れ」るものです。「時々」現れるであって、常にということではありません。なぜならactuarial scienceは自然科学ではなく社会科学を扱う学問だからです。そして「妻と義母」の隠し絵のように、その構造に気付けると、パズルのピースがはまるような爽快感があります。同氏も、そのような爽快感を通じてactuarial scienceにのめり込んでいったものと推察します。

この寄稿の中で、年金数理ではなく「actuarial science」という言葉が使われています。ここには、同氏の2つの想いが込められているのではないでしょうか。一つは、年金数理人に対し、年金数理以外の数理的な手法も学んでほしい。もう一つは、海外に目を向けてほしい、というものです。

同氏は、海外のアクチュアリーからも一目置かれる存在でした。彼の訃報を悲しむ声は海外からも多く届いています。ICA2026を楽しみにしていた同氏に、ICAを届けることができないのは残念でなりません。

故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。

(ペンネーム:ceraverse)

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