アクチュアリー候補生として駆出しの頃であった1996年は、保険業法改正による損保系生保の参入など、生命保険業界全体に非常に大きな変革期を迎えた時期でありました。
一方、生命保険の商品開発の観点からは、90年代前半に流行った特定疾病(3大疾病)保障保険やリビング・ニーズ特約などの生前給付型保険の発売がひと段落した後でもあり、その後、7~8大疾病保障保険の発売や、生後初の破綻生保の登場まで1年を切るなど、味わい深い時期であったようにも記憶しております。
そこで、今回のコラムでは、1996年当時の商品開発の状況を当時のCMと共に、記憶を辿りながら振り返ってみたいと思います。
1.N氏のCM
現在の生命保険商品としては、変額年金保険や第三分野保険が主流になりつつありますが、96年頃は、まだまだ伝統的な死亡保険(例.定期付終身保険等)や個人年金保険(例.トンチン年金等)が主流でした。
特に、若者向けの保険として、有名芸能人を起用したCMも活発に行われていて、バブル期の超有名俳優(例.高倉健氏、吉永小百合氏等)とは、少し距離を置いたCMが多かった印象です。
いつの時代でも「愛と勇気」は大切ですが、動画の最後のほうに鳴り響く、緊急自動車のサイレンが、妙に悲しい響きをもたらします。
https://youtu.be/nsXBRLm9HIU?si=LYFw8FvzINnVY-lv
2.定期付終身保険の倍率制限
上述の定期付終身保険は、もちろん、当時の生命保険商品として主流でしたが、暗黙のルールとして「倍率制限」というものが存在していました。
例えば、1995年10月に発売された『雄飛30』という商品は、主契約に対する死亡保険金額(例.終身保険+定期保険特約等)割合が「30倍以内」しか販売できないものです。
ちなみに、当時のY生命さんのO社長のお名前に『雄』の文字が含まれていたため、ご本人はたいそうご機嫌であったと、先輩アクチュアリーからお伺いしたことも記憶に新しいところです。
https://www.meijiyasuda.co.jp/profile/corporate_info/about/history/yasuda/
奇しくも、『生活保障特約(年金払定期保険特約)』が倍率制限から除外され、これを契機として当該倍率制限は撤廃されましたが、某社のペットネームは「わんつー・らぶ」でしたので、やはり「愛」がキーワードかもしれませんね。
https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Faucview.aucfan.com%2Fyahoo%2Fw1160980786%2F&psig=AOvVaw03XFrsIfyIUvuTWrDoA3Me&ust=1738328649197000&source=images&cd=vfe&opi=89978449&ved=0CBEQjRxqFwoTCKDP9oHBnYsDFQAAAAAdAAAAABAE
3.「愛と勇気」
ご案内の通り、アカウント型保険のシステム設計等では特許的な概念はあるようですが、保険商品自体には特許がなく、折角、苦労して新商品を発売できても、直ぐに追随される悲しい運命を背負っています。
一方、商品名(ペットネーム)には、『サービスマーク制度』という非常に重たい制度があり、弁理士と呼ばれる専門職が活躍される世界となっています。
幸い、「愛と勇気」というペットネームを担当弁理士に伝えたところ、恐らく、昭和時代の業界共通商品であった「変額保険」の同ネームとして「ゆうき」という単語を使用している会社があることを指摘され、相当焦った苦い思い出もあります。
結局、変額保険の2つのタイプ(有期型、終身型)のうちの有期型を指す名称であったようですので、何とか無事にサービスマーク取得に漕ぎつけましたが。
ちなみに、5年ごと配当付保険のペットネームとして、NEOとネオタイプの2つの類似名の登場も、1996年(10月)の記憶に残る出来事でした。(機会があれば、改めて当時の状況等をコラムに仕上げて参ります)
いかがでしたか。1996年はSMAPのメンバーであった森且行氏がメンバーから脱退された時期でもありますが、30年後の芸能界の姿を見越してオートレーサーへの華麗なご転身を遂げられたのでしょうか。。。
ペットネームでもある、まさに「愛と勇気」の精神で、この難局を乗り切って欲しいと願う今日この頃です。
(ペンネーム:活用算方)