この度、約10年前に作成したコラム『数学は自然科学か?(2015年11月24日 (火) )』に対する(初めての)反響をいただけました!
コラム執筆者の一人としては、このような大昔のコラムに真面目に反応くださる方がいらっしゃることに無上の喜びを感じています!!
しかしながら、“数学は自然科学ではないのでは?”という鋭いご指摘に、20年以上前の故・指導教官の「御言葉」を今更ながら懐疑的に回想する必要が出てきた模様です。
そこで、今回のコラムでは、タイトルにある“数学は自然科学か”という表現が正しいと信じるに足りる客観的な証拠・証跡について、ネット・サーフィンしながら探し出した成果を幾つかご紹介いたしましょう。
1.これまでの経緯
このコラムを含めて、アクペディアコラムを運営されている方から、ある日、一通のメールをいただけました。
具体的には、当該コラムについて、“読者の誤解を招かないためにも、表現の変更が必要”というご指摘メールを頂戴したようです。
更に、ご指摘のメールを熟読すると、
「当該部分で述べられている内容は一般的に論証可能となってしまう」
「自然科学にあるような特異な状況下での実験を通じてその現象が起こっている原因を探るという具体的なアプローチとは異なる」
とのご主張で、どうやら、「数学は自然科学か?」という問いかけに対してNOというのがスタンスのようです。
2.恩師からの御言葉
今から20年以上前の2000年頃、世間は“Y2K”や“ミレニアム婚”などの流行語に沸いている頃に、大学時代の数学科ゼミの恩師(専門分野:整数論)が夏休みを利用した高校生向けのサマースクールを開催されました。
恩師の整数論ゼミで3年間過ごした筆者は、社会人5年目という節目の年でしたが、折角の機会なのでと思い立ち、5年ぶりに恩師との再会が果たせました。
当該スクールの中で、「学問の分類上、数学が『科学』分野に分類されているが、物理や化学と同様、数学も『数値実験を通じて、ある一定の法則を導くことができる』という意味で自然科学だ」という趣旨のコメントをされた記憶が鮮明にあり、参加メンバーであった高校生からも一斉に「おー!」という声で会場が充満しました。
なお、恩師は「実験数学入門」という書籍も執筆されておりますので、実験を通じて様々な自然現象を解明するという数学の醍醐味を伝えたかったのかもしれません。
3.京都大学の資料
京都大学の資料『自然科学系の科目群とその科目構成等について』では、「数学」が含まれていますので、自然科学の科目として「数学」が位置付けられていると考えることにも一定の合理性があるように思いますが、いかがでしょうか。
https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/static/ja/profile/policy/other/revision/documents/others/02_2-5b9b03e18dbdb4e44f8921fe5c3178cb.pdf
4.岩波書店での分類定義
岩波書店の資料『自然科学書一括復刊(2024年5月)』では、複素解析などの「数学書」が含まれていますので、自然科学書として「数学書」が位置付けられていると考えることにも一定の合理性があるように思いますが、いかがでしょうか。
https://www.iwanami.co.jp/news/n56822.html
5.高木貞治氏の御言葉
恩師の恩師に当たる高木貞治氏の『近世数学史談』からの御言葉を引用します。
“ガウスが進んだ道は即ち数学の進む道である。その道は帰納的である。特殊から一般へ!それが標語である。数学が演繹的であるというが、それは既成数学の修行にのみ通用するのである。自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば、その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当り前なのだから、演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう。若しも学問が演繹のみにたよるならば、その学問は小さな環の上を永遠に周期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論に捉われないで、帰納の一途に精進すべきではあるまいか”
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~tshun/20231014s.pdf
一方、ご質問者からのコメントは、以下の通りです。
“数学自体が演繹的に定義と自明から世界を広げていくのと比べ、自然科学の帰納法的な結果から推察していく手法は混同されるべきものではない”
いかがでしたか。筆者自身がこれまで温めてきたコラムだからこそ、歳月で色あせることなく、未だにご質問を投げかけていただけることにも、やはり、無上の喜びを感じざるを得ません!
(ペンネーム:活用算方)