10月の思い出


保険業界に長く身を置くものとして、「10月」には特別な思い入れがあります。
そこで、今回のコラムでは、同業界の歴史に触れながら、アクチュアリー的視点も加えつつ、「10月」にまつわるトピックスを幾つかご紹介いたしましょう。

1.損保系生保

1996年(平成8年)4月に約半世紀ぶりとなる改正保険業法が施行されました。同法改正により、例えば、標準責任準備金、ソルベンシー・マージン基準、保険計理人意見書など、現在の健全性に係るフレームワークが整備されました。
さらに、同法改正で、子会社方式による生損保の相互参入も可能となり、実際、同年10月から、いわゆる“損保系生保”や“生保系損保”が相次いで参入しました。

当時、マスコミ報道などでは、“損保系生保”を“ひらがな生保”と呼称する動きもみられましたが、おそらく、“国内系生保(=漢字生保)”、“外資系生保(=カタカナ生保)”に対応する「呼称」としての一種の造語であったようにも思えます。
たまたま、千代田火災に就職した知人がおりましたが、「うち(=千代田火災)の生保子会社は“エビス生命”で“ひらがな”ではないんだけどね。」と苦笑を浮かべていたのがとても印象的でした。
その後、筆者が監査法人に転職した際、いくつかの“ひらがな生保”の基礎書類を閲覧させていただく機会に恵まれたのですが、多くの“ひらがな生保”の会社設立日が、 “平成8年8月8日”となっていたことも非常に印象的でした。“すえひろがり”として好まれる「八」の組み合わせである同日が“縁起が良い”と考えられた結果なのかもしれません。

なお、『インシュアランス生命保険統計号(保険研究所)』で、当時の“ひらがな生保”を含む決算書類が閲覧できるのですが、多くの“ひらがな生保”は、創業初年度のために、“保険業法第113条繰延資産”を計上しつつ赤字となり、一方、契約者配当準備金繰入(←注:株式会社のため同準備金繰り入れは費用処理となり損益計算書の末尾に計上)を行うなど、生命保険会社の決算処理としても大いに注目される結果となっています。
機会があれば、“ひらがな生保”の創業初年度決算についても、コラムに仕上げようと考えております。

2.郵政民営化

2007年(平成19年)10月1日に日本郵政グループおよび同子会社が一斉に上場を果たし、ここに、いわゆる“郵政民営化”が実現しました。筆者は、幸い、民営化前の「日本郵政公社」時代から経営に参画させていただく機会に恵まれ、当時の主務官庁(総務省、金融庁、郵政民営化準備室など)とのミーティングなどにおいて、様々な事項を学びました。
アクチュアリーとしての一番の思い出は、予定事業費に関する伝統的な設定方法である「α-β-γ体系」について、元郵政事業庁長官に直接ご説明の機会をいただけたことでして、研究会員時代に必死に学習した「生保数理の教科書」をひたすら読み返しながら、説明資料を徹夜で仕上げました。

役員室から退席する際、「とても分かりやすい資料を作成してくれて、ありがとう。」と労いのお言葉をいただけたことは、未だに、アクチュアリー冥利に尽きる一大イベントとして、記憶の奥深くに強く刻まれています。
また、当時、自民党から民主党へ政権交代があり、鳩山首相が誕生したことや、諸事情から、民営化開始時期が当初の4月予定から半年ずれ込み、その影響で、様々な決算処理や主務官庁提出資料を修正したことも、今となってはとても貴重な経験を得られたように思います。

なお、新日本保険新聞社が刊行する『主力保険のすべて』のうち、「簡易保険・JA共済」版というものがありますが、特に、簡易保険については、民営化前の冊子では、予定事業費率が商品種類別に開示されておりました。残念ながら、民営化後は非開示となった模様ですが、アクチュアリー正会員になって初めて、「α-β-γ体系」以外の予定事業費体系(この場合、比例および定数法)を目の当たりにして、いかに自分がものを知らないかということを痛感した苦い記憶があります。

3.入学入社

日本では会社や学校などのスケジュールは、未だに4月始まりが多いようでして、保険会社についても、保険業法第109条で4月から(翌年)3月までを事業年度とすることが規定されています。
一方、欧米では、暦年ベース、つまり、1月から12月を事業年度としたり、学校の入学時期も10月とすることが多いように見受けられます。
日本でも、中途採用の入社時期は4月以外に拡大していることが多く、通年採用を取り入れている会社も徐々に多くなっているように思えます。

多くの保険会社を1つの主務官庁が一括して管理監督する以上、少なくとも事業年度の統一化は不可欠でしょうし、長年、日本で慣れ親しまれた4月スタートを一気に変えることは難しいかもしれませんが、ソルベンシー規制を始めとする保険会社の監督体制のグローバル化を強く意識した環境下においては、事業年度の世界統一も視野に入れた経営がますます重要になってくるかもしれません。

4.浅谷輝雄氏

以前のコラム(https://www.vrp-p.jp/acpedia/1696/ https://www.vrp-p.jp/acpedia/2325/ https://www.vrp-p.jp/acpedia/3160/)でご紹介しました通り、保険課長を務められたアクチュアリーの浅谷輝雄氏の御命日も10月です。
浅谷氏は、日本アクチュアリー会の基本問題研究会を主宰されたり、インシュアランス保険統計号への論文御寄稿など、幅広く活躍された有名な方です。
幸い、同氏の晩年に、ニッセイ基礎研究所で直接お話をお伺いした際は、“大蔵省は薄給で業界紙に論文寄稿して原稿料をいただけたのが本当に嬉しかったよ。”と、目を細めながら、しみじみと語られる御姿がとても懐かしいです。

残念ながら、同研究所にいらっしゃる頃、東大数学科の先輩である岩澤健吉先生が崩御されたニュースを耳にされ、“岩澤先生が来日された際、東大の集中講義で整数論に関する問題を幾つか出題されたが、自分は、「極大イデアルである」ことを受講生の中で唯一正解できて先生に褒められたのが嬉しかったよ。”と、こちらも目を細めながら、しみじみと語られる御姿がとても懐かしいです。
なお、当時の御話は、“浅谷輝雄のSOHOからのメッセージ”というホームページ(今日のブログのようなもの)にアップされていた記憶がありますが、現在では同ページ自体が閉鎖されてしまい、閲覧できないのがとても残念でなりません。

いかがでしたか。10月に限らず、それぞれの「月」には、もちろん、それなりに思い出があるのですが、個人的にはやはり「10月」がアクチュアリー人性として最も思い出が詰まった「月」です。ちなみに、私事で大変恐縮ですが、配偶者と初めて出会ったのも「10月」です。

 

(ペンネーム:活用算方)

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