「アクチュアリーらしくない」ところが、自分の強み


アクチュアリーという仕事を知ったきっかけは何でしたか。

就職活動で、同じ学部の友人たちがアクチュアリー採用の入社試験を受け始めて知りました。バブル入社期でジャパンマネーが本当に強かった1980年代後半、資産運用を始め、金融機関に理系出身者が多く入社するようになっていった頃でした。

当時の私は、人生の“保険”として教職をとっておこうと考え、周りが就職活動しているときには教育実習期間中。アクチュアリーの存在を知り、「そんな職種があるのなら、勉強してきたことが生きるかもしれない。受けてみよう」と焦り始めるような、暢気な就活をしていましたね。

職歴、アクチュアリーになるまでの道のりについて教えてください。

仕事と勉強の両立が難しく、正会員になるまでに8年かかりました。寮生活をしていたので、土日に勉強していても、同僚と一緒にお昼ご飯を食べに行ったり、誰かの部屋に行ってしゃべったりと、息抜きできる時間に溢れていました。逆に、いかに誘惑に負けずに勉強に集中できるかが勝負でした(笑)。

私の人事異動はアクチュアリー採用としては異例の配属が多く、「アクチュアリーが活躍できるフィールドを開拓する」という役割が課されていたようです。

まず、主計部で決算業務を担当したのち、入社3年目にニッセイ基礎研究所というシンクタンクに異動になりました。上司にもメンバーにもアクチュアリーはおらず、「鈴田のあと、その部署に後輩アクチュアリーが異動してくるようになったら、君は評価されたということだから」と、主計部時代の上司に送り出されました。

シンクタンクでは、米国を中心とした諸外国の保険制度を調査し、いまではすっかりお馴染みとなっているソルベンシーマージン基準や標準責任準備金などを日本の保険監督行政に適用するための調査をしたり、経営企画部の依頼で経営企画策定のための保険マーケット分析を経済研究部門と共同で作業をしたり。そこで4年間、知識を増やしたのち、次のステップとして総合企画部に異動になりました。ここでも、アクチュアリーが配属されたのは、私が初めて。連日タクシー帰りで経営計画づくりに携わっているときにようやくアクチュアリー正会員の資格を取得しました。

今では、シンクタンクにも総合企画部にも当たり前のようにアクチュアリーは数名配属されていますから、開拓者としては成功したということかもしれません(笑)。正会員になると、当時総合企画部主導で導入された内部収益管理業務を所管部署に定着させるという建付けで「じゃあ、主計部に戻ってきてよ」と戻ることになりました。

シンクタンクでも総合企画部でも、アクチュアリーの勉強をしていたので、数量的な計画を立案する際も論理立てて考えられましたし、財務部や主計部とのコミュニケーションがスムーズに進むというメリットもありました。

当時は、どこの会社でも経営計画立案の際には、新規契約数を増やし規模を追求すればいいというのが一般的な考え方でした。当時は行政の姿勢がバブル時代の契約者配当還元基調から健全性の確保に転換された時期であったため、当時ようやく銀行業界で話題となりだしたVaR(バリュー・アット・リスク)の概念と、基礎研時代に開発したALMモデルを組み合わせて最大損失の予測を行いました。、これに対して健全性の観点からどれくらいのソルベンシーを持っているべきかなどの視点を経営計画の中に入れていき、健全性を盤石なものとするために基金の再募集を発案しました。ほとんど知られていませんがコレ実は私の発案なのです。このようにアクチュアリー部署でないところで「アクチュアリーだから貢献できることは何か」を常に意識して仕事をしていました。

41歳のときにコンサルティングファーム、タワーズワトソンへ転職。その後、現在の職場PwCへ。それぞれのきっかけとは?

2000年に入ると、生命保険会社がいくつか破綻の危機に追い込まれました。その際、企業再建のため、生保各社からプロジェクトメンバーが選ばれ生命保険協会にPJチームが設立されました。私はアクチュアリーチームでチーフ・アクチュアリーに抜擢されました。そこで数多くのコンサルティングファームに名前が知られるようになったというのが大きかったのだと思います。

1年間のそのプロジェクトでやっていたのは、買収する側の外資系生保に対し、買収条件を交渉したり、破綻生保の将来キャッシュフローを計算し経済価値評価を行ったり、契約条件変更の商品認可の準備などあらゆるアクチュアリー関連業務を取り仕切ること。連日深夜にタクシーで帰宅するほど多忙でしたが、外資系生保のグローバルM&Aチームのトップの方との折衝に鍛えられるなど、非常に刺激的な1年でした。

タワーズワトソンは、経済価値での企業評価を得意とするコンサルティングファーム。プロジェクトでやっていたことが活かせるのではないかと思い、破綻生保対応のプロジェクト後に日生で企業保険決算業務を5年半担当したのち、2007年に転職を決意しました。

PwC(あらた監査法人)には、日生時代の人のつながりで縁あって2013年夏に入社。アクチュアリーグループを統括する立場として、決算の監査やリスク管理/ERMなどのプロジェクトごとにメンバーをアサインしつつ、実務もさばいています。メンバー一人ひとりの強みを生かし、一歩前進できるような仕事のチャンスを与えたいと思っているので、誰にどの仕事をお願いするか、いつも頭を悩ませています。効率を考えれば、できる人が担当した方が早いのですが、中長期的な組織力の向上を考えて、ときに、ぐっと我慢しながらアサイン(笑)。人材マネジメントの難しさを痛感しています。皆が満足する回答はありませんが、固定観念にとらわれず、頭ごなしに押し付けをせず、一人ひとりの意見を真摯に受け止め傾聴する、誰しもが希望を持って活躍できるようなチームにしたいと考えています。

欧米やアジアとの連携の機会が多いのはグローバル企業PwCの魅力です。アメリカ・NYで保険会社の監査を担当しているメンバーもいますし、逆に海外から来日した外人と共同で行う監査業務も多々あります。海外から入ってくる情報量も豊富ですが、貰うだけでなく、逆に発信することも求められる。このような中で一緒に働く仲間として徐々に日本が認められるというのは大変ですがうれしいことです。ずっとドメスティックにやってきた私にとって、とても刺激的な環境ですね。

これからアクチュアリーを目指す方へのアドバイスをお願いします。

アクチュアリーは、「数学の勉強ができればなれる仕事」「資格もとれて、手に職を持てる安定した仕事」などと考える人がいるかもしれません。実際、とてもプロフェッショナルな仕事ですし、数学が好きな方にとっては魅力的なおもしろい仕事だと思います。

ただ、大事なのは、スキルや能力は「社会の中で生かせてなんぼ」だということ。社会貢献できるひとつの武器としてアクチュアリーをとらえてもらえたらいいなと思っています。

私は、「ノンアクチュアリアル・アクチュアリー」と周りから言われてきて、「アクチュアリーらしくないところが勲章だ」と我ながら思ってきました。

例えば、最近は、経営計画を立てる際の重要なアドバイザーとして、アクチュアリーの力が求められています。すると、アクチュアリーだからこそ持っている専門的な知識を、専門ではないメンバーにいかに分かりやすく伝え、理解してもらうかがキーになります。自分の力を広く使ってもらうには相手に理解してもらうことが出発点になります。

年次が上がり、役割も増えれば、仕事を一緒に進めるメンバーも多岐にわたります。コミュニケーション力が高く、専門分野以外にも幅広く興味関心を持てる方は、いいアクチュアリーになれるのではないかと思いますね。

また、アクチュアリーだけに限りませんが、社会に出ると、やりたい仕事だけやっていればいいという環境はほとんどありません。与えられた仕事が、そのときはどれだけ重要か分からなくても、とにかく全力でやってみることが大事。その頑張りは、必ず次の仕事につながっていきます。腐らず粘り強く物事に取り組めば、きっと明るい未来が待っているはずです。

年次に関わらず、優秀な方であればあるほど、日々の研鑽を欠かしません。資格をとることをゴールとせずに、常に成長を続けられるアクチュアリーが多くなるといいなと思っています。

■プロフィール

鈴田雅也さん

あらた監査法人 第2金融部(保険・共済)ディレクター。日本アクチュアリー会正会員 社団法人日本証券アナリスト協会検定会員 国際公認投資アナリスト。早稲田大学理工学部数学科卒業。1989年に日本生命保険相互会社に入社。タワーズワトソン株式会社への転職を経て、2013年7月にあらた監査法人に入社。

この企業バックナンバー ─企業記事─

あわせて読みたい ―関連記事―